この巻は全1帖で構成されており、「岩戸開き」が成り、言葉(言霊)と文字(数霊)の真の力が解放される新時代の到来を高らかに宣言する内容です。旧来の価値観が終わりを告げ、弥勒の世という喜びと調和に満ちた世界が始まる様相が、力強く喜びに満ちた筆致で描かれています。
ひふみ神示 第十六巻 アレの巻
原文
言答開き成り成るぞ(イワトビラきナりナるぞ)。誠言答は永遠ぞ(マコトイワトはトハぞ)。瞳ぞ(ヒトミぞ)。御位継ぐ理の始ぞ(ミクライツぐミチのハジメぞ)。 字絶対の世始出づぞ(ジゼッタイのヨハジメイづぞ)。二一開き(ツキヒヒラき)、結ぶ玉に祝うぞ(ムスぶタマにイワうぞ)。読む開き(ヨむメヒラき)、字出づ理に成り(ジイづミチにナり)、結ぶ玉に弥栄開く(ムスぶタマにイヤサカヒラく)大和心の道ぞ(ヤマトゴコロのミチぞ)。道開く理の極みぞ(ミチヒラくリのキワみぞ)。本能秀(生命)月日の極み成る(ホンノホツキヒのキワみナる)読む言の極み(ヨむコトのキワみ)。弥栄に真問ひ極む世(イヤサカにマトひキワむヨ)。那美(名美)那岐(名基)の(ナミナキの)理の玉継ぐ(ミチのタマツぐ)意味開くなり(イミヒラくなり)。字の絶対継ぐ意味(ジのゼッタイツぐイミ)弥勒弥勒となるぞ(ミロクミロクとなるぞ)。根っこ理ぞ(ネっこミチぞ)。誠ざぞ(マコトざぞ)。弥栄弥栄(イヤサカイヤサカ)。玉秘出づ理ぞ(タマヒイづミチぞ)。玉基理ぞ(タマキミチぞ)。通基秘理(ツキヒミチ)、極み成る識道(キワみナるシキドー)、本能秀(生命)ざぞ(ホンノホざぞ)。不見の実主ざぞ(ミズのミズざぞ)。 ゝゝゝゝゝ ゝゝゝゝゝ玆の理(ココのリ)、字の絶対出づ(ジのゼッタイイづ) (大スサナルのハタラキぞ)。南無(名務)荷い開く弥勒(ナムニナいヒラくミロク)。日継の意味荷う(ヒツギのイミニナう)数と字の絶対光の道(カズとジのゼッタイコーのミチ)。字の絶対開き(ジのゼッタイヒラき)、那美(名美)開くぞ(ナミヒラくぞ)。字の極意の極みは(ジのゴクイのキワみは)読字(黄泉)ぞ(ヨミジぞ)。富士(普字)に花咲く時ざぞ(フジにハナサくトキざぞ)。開く結びの命(ヒラくムスびのイノチ)、字開きに字(ジヒラきにジ)、開き(ヒラき) 実るぞ(ミノるぞ)。山にも地にも(ヤマにもチにも)万劫光の花開くの理ぞ(マンゴーコのハナヒラくのミチぞ)。光の経綸(コのシグミ) 四八音となるぞ(ヨハネとなるぞ)。意露波理ぞ(イロハミチぞ)。 人佛の極みは(ヒトホトケのキワみは)、命の光普き(イノチのヒカリアマネき)、智普く基の天の言玉の理(チアマネくキのテンのイワタマのミチ)、理の極の光の答の山路(大空間)(リのキワミのヒカリのトーのヤマジ)百霊継ぐ文字の道(ヒヤクレイツぐモジのミチ)。生(基)の極みたり(セイのキワみたり)。 面白に秘解く成答(オモシロにヒトくナルト)、文道とどめたり(フミミチとどめたり)。数の始の絶対の理ざぞ(カズのハジメのゼッタイのミチざぞ)。字(ジ)、絶対の理(ゼッタイのリ)。誠母(親の古字)の秘文(マコトモモのヒフミ)。霊気世に満ち漲り(レイキヨにミちミナギり)、国々晴れ渡るぞ(クニグニハれワタるぞ)。日継(日通基)開く文字(ヒツギヒラくモジ)、網母成る極みなり(モモナるキワみなり)。言の絶対の答(コトのゼッタイのコタヘ) 人の意の極みなる意味ぞ(ヒトのイのキワみなるイミぞ)。読みこれぞ(ヨミこれぞ)。 答の名基荷負う始め(コタヘのナキニナうハジめ)、伊勢世の始め(イセヨのハジめ)、普字鳴戸(成答)の経綸動ぞ(フジナルトのシグミイゴクぞ)。字に成り成りませる光の神には(ジにナりナりませるヒカリのカミには)、何事も弥栄弥栄ざぞ(ナニゴトもイヤサカイヤサカざぞ)。 このふで軸(時間空間)読(このふでジクヨミ)、御しるしのヨ八音ざぞ(みしるしのヨハネざぞ)。諏訪 麻賀多 榛名 甲斐(スワ マガタ ハルナ カヒ)玉和す理ざぞ(タマワすミチざぞ)。 字の言座(ジのコトクラ)、名(言波)の極ぞ(ナのキワミぞ)。意志の極み成るぞ(イシのキワみナるぞ)。道は道理であるぞ(ミチはドウリであるぞ)。字開き(ジヒラき)、務に結び(ムにムスび)、咲く花の結び秘文ぞ(サくハナのムスびヒフミぞ)。普字軸の理ぞ(フジジクのリぞ)。宮柱太しき立つぞ(ミヤバシラフトしきタつぞ)。祝詞の心(ノリトのココロ)、はじめの開き字に現はるぞ(はじめのヒラきジにアラはるぞ)。真心響く誠ぞ(マゴコロヒビくマコトぞ)。言ざぞ(コトざぞ)。細工隆隆(サイクリュウリュウ)読の極み立つ世ぞ(ヨミのキワみタつヨぞ)。 数の極み神ぞ(カズのキワみカミぞ)。数の極み大素佐成(大数叉名立)(カズのキワみオースサナル)五十の極み(「五十」のキワみ)継ぐ印し給ひて(ツぐシルしタマひて)、幹(実基)字(ミキジ) 完し(マットウし)、完し(マットウし)、山(屋間)の文読み(ヤマのフミヨみ)、皆喜び(ミナヨロコび)、荷ふ理の宮継ぐ(ニナふミチのミヤツぐ) 普字軸の世(フジジクのヨ)。喜び言(ヨロコびゴト)、全土に響く理ぞ(ゼンドにヒビくミチぞ)。八雲出雲は(ヤグモイズモは)、聞理じゃ(キクリじゃ)、これは(これは)、基の大数叉名立大神(キのオースサナルオーカミ)、世に光り輝くの理ぞ(ヨにヒカりカガヤくのミチぞ)。理は世の元に立つ道ぞ(リはヨのモトにタつミチぞ)。理(ミチ)、遠きには無し(トーきにはナし)、心せよ(ココロせよ)。 誠の道は(マコトのミチは) 神の理ざぞ(カミのミチざぞ)。読(ヨミ) はじめの世ぞ(はじめのヨぞ)。皆神の子ぞと申してあるぞ(ミナカミのコぞとモーしてあるぞ)。 名基の世(ナキのヨ) しかと開き(しかとヒラき)、生の基の誘基の命現れき(キのモトのイザナキのイノチアれき)。太始めの御玉組み組み(フトハジめのミタマクみクみ) 神継ぐ極みと成り(カミツぐキワみとナり)、始る道ぞ理の極み(ハジマるミチぞリのキワみ)。字句字句(ジクジク)、真問ひ成り成り鳴り(マトひナりナりナり)、読(黄泉)の岩戸(言答)開くなり(ヨミのイワトアくなり)。 はじめの光り(はじめのヒカり)、今(イマ) 輝きて(カガヤきて)、答神(真理)覚め覚め棒ぐもの(トーカミサめサめササぐもの)、百取りしろ(網母十理詞露)に(モモトりしろに)充ち満ちて(ミちミちて)、弥栄御座湧きに湧き(イヤサカミグラワきにワき) 天晴れ継ぐ(アッパれツぐ) 神の答は字に有り(カミのコタヘはジにアり)。 見よ(ミよ)、御子達(ミコタチ)、大き道座し座す言座(オーきミチマしマすコトクラ)。 吾疑問ひ秘文字奥義(アギトひヒモヂオウギ)、敬ひ(ウヤマひ)、喜び(ヨロコび)、申すらくを(モーすらくを)、天の普智独楽の(アメのフチコマの)実実普理聞こし食すらむ(ミミフリキこしメすらむ)千萬の御代(チヨロズのミヨ)。光り神(ヒカりカミ) 太光り(秘加理)ぞ(フトヒカりぞ)。理の(真理)御山(大空間)の(ミチのミヤマの)良きを寿ぐ(ヨきをコトホぐ)。五十鈴の川の良きを寿ぐ(イスズのカワのヨきをコトホぐ)、動く事なく(ウゴくコトなく)、止まる事なく(トまるコトなく)永遠世に弥栄弥栄(トコヨにイヤサカイヤサカ)、喜びの(ヨロコびの)、今開く字の理成りて(イマヒラくジのミチナりて)、光の花の(コのハナの)、一時にどっと咲く所(イチジにどっとサくトコロ)、玉の御代とて神代より(タマのミヨとてカミヨより)生きし生き神引き合ふぞ(イきしイきガミヒきアふぞ)。 誠の(マコトの) もの云ふ時来しと(ものイふトキキしと) みそぐの太神覚りて(みそぐのフトカミサトりて) サン太神様(サンオーカミ) 知る(シる)誠(マコト) 尊き御代と成りますのぞ(トートきミヨとナりますのぞ)。仕事は(シゴトは)、めんめの働きあるぞよ(めんめのハタラきあるぞよ)、実空字(ミグヂ) 大き理智在せることの印しなり(オーきミチマせることのシルしなり)。 終りに(ヲワりに)、言(コト) 言(コト) 神国の(カミクニの)、誠の鏡(完神)のとどろきも(マコトのカガミのとどろきも)、皆御文字世の始かし(ミナミモジヨのハジメかし)、今(イマ)、始る世(詞)の基(ハジマるヨのモトイ)。雨の神(アメのカミ) 風の神(カゼのカミ) 岩の神(イワのカミ) 荒の神(アレのカミ) 地震の神(ジシンのカミ) 世の基にして(ヨのモトにして)、理実りの常盤の普字の実り良くも(ミチミノりのトキワのフジのミノりヨくも)、命出度命出度ざぞ(メデタメデタざぞ)。 弥栄鳴戸(成答)は(ヤサカナルトは)、光の御座の問ひに開くぞ(コのミクラのトひにヒラくぞ)。八百の道(理)の寄る(ヤホのミチのヨる) 把立名(榛名)吾基(安芸)(ハルナ アキ)時節来て(ジセツキて)、誠もの云ふ神の世の(マコトものイふカミのヨの)、夜明けの神々覚れよと(ヨアけのカミガミサトれよと)、神(可務)露務(カムロム) 可務露基(カムロキ) 可務露実の命もち(カムロミのミコトもち) 八百万の神々(ヤホヨロズのカミガミ)神集ひに集ひ給ひ(カミツドひにツドひタマひ) 神計りに計り給ひ(カムハカりにハカりタマひ) 言問ひし草のかきはも言止め(コトトひしクサのかきはもコトヤめ)、天の岩戸(言答)開放ち(アメのイワトアケハナち)、天の弥栄弥栄に智湧きに智湧き(アメのイヤサカイヤサカにチワきにチワき)、大実光りの尊き御代ぞ(オオミヒカりのトウトきミヨぞ)、神在す天下(カミイマすアメガシタ) 四方の国々(ヨモのクニグニ) 治すし食す(シろしメす) 寿命大神(大実親)の字の理(スメオオカミのチのミチ) 網母(現実親)の空字(国)(モモのクジ)ことごとく定まりし(ことごとくサダまりし) 弥勒の世とぞ成りふるなり(ミロクのヨとぞナりふるなり)。 成るは(ナるは)、誠の開きの秘の山の(マコトのヒラきのヒのヤマの)神基開く(カミモトヒラく)真の神にかかり給ひしぞ(マコトのカミにかかりタマひしぞ)。 空字御霊(クニミタマ) 大皇命神の秘の(オースメガミのヒの)、仰ぐさまの良き時ぞ(アオぐさまのヨきトキぞ)。 理実る世(ミチミノるヨ) 数の極(カズのキワミ) 真理ぞ(シンリぞ)。 普字の山(不二の大空間)(フジのヤマ)晴れたり(ハれたり)。光り(秘加理)輝やきて(ヒカりカガやきて) 御空に太まに(ミソラにフトまに)百草のかき葉も競ひかも(モモグサのかきハもキソひかも)、寄り集ふ誠一つの神の世ぞ(ヨりツドふマコトヒトつのカミのヨぞ)。 読字(黄泉)ぞ(ヨミジぞ)。くくりし読は惟完読(くくりしヨミはカンナガラヨミ)。軸字(ジクジ) 軸字と木霊と木霊(ジクジとコダマとコダマ)、字開き(ジヒラき)、数開き成る言(カズヒラきナるコト) 網母(現実親)に有り(モモにアり)。鳴戸(成答)理開きに開き(ナルトミチヒラきにヒラき)、貴人の御代成り成るぞ(ウズヒトのミヨナりナるぞ)。弥栄つぎに通基つきて(イヤサカつぎにツキつきて)、御代印しの基継ぐ成るぞ(ミヨジルしのモトツぐナるぞ)。艮めに普字の神産み給いき(トドめにフジのカミウみタマいき)、普字数叉名立の神現れ(フジスサナルのカミアれ) 生き生き給ひき(イきイきタマひき)。 玆に(ココに) 誘名基の神(イザナキのカミ) 神加実達に理給ひて(カミガミタチにミチタマひて)、喜び光賜ひき(ヨロコびヒカリタマひき)。陽の神は秘の国(ヒのカミはヒのクニ)、通基の神は実数の国(ツキのカミはミズのクニ) 数叉名立神は(スサナルカミは)、名波裸治らせ(ナハラシらせ) と給ひき(とタマひき)。それは(それは)、その時より(そのトキより) 理決まれる事にぞあれば(ミチキまれるコトにぞあれば)、何も彼も真問ひ理に来いとぞ(ナニもカもマトひミチにコいとぞ)。あななひの道ざぞ(あななひのミチざぞ)。弥栄の理ざぞ(イヤサカのミチざぞ)、あなさやけ、(あなさやけ)あな清々し世ぞ(あなスガスガしヨぞ)。 生れし道ぞ(ウマれしミチぞ)。都も鄙も皆(ミヤコもヒナもミナ) 大実光りに寄り集ふ(オーミヒカりにヨりツドふ) 誠一つの理なるぞ(マコトヒトつのミチなるぞ)。秘文の国ぞ(ヒフミのクニぞ)、言玉の弥栄光る国なるぞ(コトタマのイヤサカヒカるクニなるぞ)。理の言(ミチのコト) 普字に印しあり(フジにシルしあり)。理(真理)の普字(ミチのフジ)、早う開きそ(ハヨうヒラきぞ)。誠の空字の御光りの(マコトのクニのミヒカりの) 世界の読(黄泉)(チカのヨミ)喜びに泣く時来た印し文(ヨロコびにナくトキキたシルしフミ)。はらに読(黄泉)理艮め成る(はらにヨミミチトドめナる)。問ひ問ひ文も(トひトひフミも) 解くなる始め(トくなるハジめ)、天のはじめのみひかりなり(アメのはじめのみひかりなり)。 読路(黄泉)の玉糸(意答)(ヨミジのタマイト)秘名の光立つ(ヒナのヒカリタつ)。 草もの云ふ世となりふなり(クサものイふヨとなりふなり)。御玉救ふ道(ミタマスクふミチ) 神の理開き基ぞ(カミのミチビラきモトぞ)。月日出づ開きに秘文開き(ツキヒイづヒラきにヒフミヒラき)、字の命開く極(ジのイノチヒラくキワミ) 名美秘文三(ナミヒフミぞ)。秘文ぞ(ヒフミぞ)。神々様御喜びざぞ(カミガミサマオヨロコびざぞ)。 今は(イマは)、神解り(カミワカり) 解りし字に言玉息吹き鳴り(ワカりしジにコトタマイブきナり)、 息吹きのままに理満ち(イブきのままにミチミち)、元の大神にこにこと(モトのオーカミにこにこと)棒ぐるもの食し給ひ(ササぐるものメしタマひ) 喜び意図の(ヨロコびゴジュウの)弥栄弥栄成れる(イヤサカイヤサカナれる) 良き嘉き御代来るぞ(ヨきヨきミヨクるぞ)。 目で聞く大神(メでキくオーカミ)、世のあななひの友(ヨのあななひのトモ)、天晴れ詞数食ふ能き(アッパれシスクふハタラき) 誠の御代ぞ(マコトのミヨぞ)。宇宙波(場)知る場加(「田」シるバカ)、月日御稜威の花ぞ(ツキヒミイヅのハナぞ)。覚れ(サトれ)、覚れと(サトれと)、言(コト)、言(コト)、軸(ジク)。百霊の世(ヒャクレイのヨ) 玉秘尊き(タマヒトートき)。 神の実言(命)聞く身々(カミのミコトキくミミ) 早う掃除一番ぞ(ハヨうソージイチバンぞ)。 掃除智座(ソージチクラ)、秘継ぐ数字(スジ)大神(加実)(ヒツぐカズジオーカミ) 絶対開く元神は(ゼッタイヒラくモトカミは)、独楽の理(コマのリ)、四十七音(ひふみ)四十八(意露波)(「四十七ノ四十八」)目にもの見せて神国の(メにものミせてカミグニの)、誠の善は(マコトのチは)、悪魔迄(アクママデ) 皆新め生くの始終光ぞ(ミナアラめイくのシジュウコーぞ)、惟完ざぞ(カンナガラざぞ)。 字そそぐ(チそそぐ)光り裏(心)山(大空間)荷負ふ(ヒカりウラヤマニナふ) 母(親)の誠に覚め(ハハのマコトにサめ)、字開く命ぞ(ジヒラくイノチぞ)。 普字に花咲く御代(フジにハナサくミヨ) 嬉し嬉し(ウレしウレし)、早う光の文路知らせたり(ハヨうコのフミジシらせたり)。急ぐ心ぞ(イソぐココロぞ)。読字(黄泉)弥栄に光り文成るぞ(ヨミジヤサカにヒカりフミナるぞ)。 文命の言の御代の(フミミコトのコトのミヨの)、月の光りなり(ツキのヒカりなり)。五十意図始めの光り知りて(タマイトハジめのヒカりシりて)、尊き御代とぞなりふる(トートきミヨとぞなりふる) 誠の神のふでなるぞ(マコトのカミのふでなるぞ)。心しめて読む時ぞ(ココロしめてヨむトキぞ)。真言の神と飛来の神と(マコトのカミとヒライのカミと)皆和す時き成るぞ(ミナワすトキきナるぞ)。あら楽し(あらタノし)、あなさやけ(あなさやけ)、普字は晴れたり(フジはハれたり) 言答開けたり(イワトアけたり)。 あなさやけ(あなさやけ) おけ(おけ)、後の世に書きしるすぞ(ノチのヨにカきしるすぞ)、日月の神(ヒツギのカミ) 書き印すぞ(カきシルすぞ)。
現代語訳
いよいよ岩戸開きが成り、実現するぞ。誠の岩戸は永遠であるぞ。人の瞳(が開き真実を見つめる時)だ。神の御位を継ぐ真理の道が始まるのである。 文字に秘められた力が絶対となる世が始まるぞ。月日(陰陽)が開き、結ばれる御魂を祝うのだ。(ひふみを)読んで目を開き、文字に秘められた真理が成り、結ばれる御魂に弥栄が開かれる大和心の道であるぞ。道が開かれる真理の極みだ。生命の本質である月日の極みとなる、読み解く言葉の極みである。弥栄のうちに真理を問い極める世となるのだ。イザナミ・イザナギの道理、その御魂を継ぐ意味が開かれる。文字の絶対性を継ぐ意味、それは弥勒の世の到来であるぞ。これが根源の理(みち)であり、誠である。弥栄、弥栄。 御魂の秘められた真理が現れる道であるぞ。御魂の基礎となる道であるぞ。月日(陰陽)の秘められた道が極まって成就する識(しき)の道であり、生命の本質そのものであるぞ。目には見えないが万物の実主(みず)なのである。
ここの道理は、文字の絶対性が現れ出ることである。(これは)大スサナルノオオカミの働きであるぞ。その名(南無)と務め(荷)を担って弥勒が開かれる。日(霊)を継ぐ意味を担う、数と文字の絶対的な光の道である。文字の絶対性が開かれ、美しい世(那美)が開かれるぞ。文字の極意の極みは、この世(読字・黄泉)にあるのだ。富士(普字=普遍の真理)に花が咲く時が来たのである。開いて結ぶ命、文字が開かれることで、さらに文字が開かれ、ついに実るのである。山にも地にも、永遠に輝く光の花が開くという道理であるぞ。この光の計画(経綸)は、四十八音(ヨハネ)となるのである。イロハの理(みち)であるぞ。 人と仏の極みとは、命の光が遍く行き渡り、智が遍く行き渡る根源の天の言霊の理である。理の極みである光の答えの道(山路=大空間)、それは百の御霊(ももたま)を継ぐ文字の道である。生(いのち)の根源の極みである。 面白く(=明らかに白く)秘密を解き明かす答え、その文(ふみ)の道をとどめておいた。数の始めの絶対の理であるぞ。文字、その絶対の理。まことの母(親)から伝わる秘文(ひふみ)である。霊気が世に満ちあふれ、国々が晴れ渡るぞ。日を継ぎ、道を開く文字は、万物(網母)の成り立ちの極みである。言葉の絶対の答えとは、人の意志の極みという意味である。これを読み解きなさい。
答えの根本の名を担い始める、伊勢(威勢)のよい世の始め、富士(普字)の鳴門(成答=答えが成る)の計画が動き出すぞ。文字となって現れ給う光の神にとっては、何事も弥栄、弥栄である。 この筆(ふで)が示す時空を読み解きなさい。御しるしの四十八音(ヨハネ)であるぞ。諏訪、麻賀多、榛名、甲斐の神々が御魂を調和させる理であるぞ。 文字の御座(みくら)、それは名(言葉の響き)の極みである。意志の極みとなるのである。道とは道理そのものである。文字が開き、務めとして結ばれ、咲く花の結びこそが秘文(ひふみ)である。富士(普字)を軸とする理であるぞ。宮柱が太く立つぞ。祝詞の心は、始めの開きの文字に現れる。真心が響き渡る誠、それこそが言(こと)であるぞ。細工(計画)が大いに進み、読み解きの極みが立つ世であるぞ。 数の極みは神である。数の極みは大スサナル(大数叉名立)の働き。五十(いそ=五重)の極みを継ぐ印を賜り、幹となる文字を全うし、全うして、山(高天原)の文を読み、皆が喜び、その理の宮を継ぎ担う、富士(普字)を軸とする世。喜びの言葉が全土に響き渡る道理である。八雲立つ出雲とは、聞くべき理である。これは、根源の大スサナルノオオカミが、世に光り輝くという道理である。理は世の元に立つ道である。理は遠くにあるのではない、心せよ。 誠の道は神の理であるぞ。(これを)読むことが、はじめの世である。皆、神の子であると申してあろう。 イザナキの世をしかと開き、生命の根源であるイザナキの命が現れた。太古の初めに御魂を組み合わせて、神を継ぐ極みとなり、始まる道、それが理の極みである。一字一句、真理を問い、それが成り、鳴り響き、この世(読・黄泉)の岩戸が開かれるのである。 初めの光が、今、輝いて、真理の神(答神)が目覚め、捧げ物が、万物(百取りしろ)に満ち満ちて、弥栄の御座が湧きに湧き、天晴れと受け継がれていく。神の答えは文字にあるのだ。 見よ、御子たちよ、大きな道にお座りになる言(こと)の御座を。 我、疑問に思い、問い、秘文字の奥義を敬い、喜び、申し上げることには、天の普遍の智と法則(普智独楽)の真理を聞き入れられるであろう、とこしえの御代。光の神よ。 偉大なる光(太光り)であるぞ。真理の御山(大いなる世界)の素晴らしさを寿(ことほ)ぐ。五十鈴川の清らかさを寿ぐ。動くことなく、止まることなく、永遠の世に弥栄、弥栄。喜びのうちに、今、開かれる文字の理が成り、光の花が一斉にどっと咲く所、そこが御魂の世であるとて、神代から生きてきた生き神様たちが引き合うのである。 誠のことが告げられる時が来たと、みそぎの太神が悟られて、三柱の太神様が知ろしめす誠、尊き御代となるのであるぞ。仕事は、各自それぞれの働きがあるのだよ。実(み)と空(くう)と字(じ)が、大きな理智が存在することの印なのである。
終わりに告げる。言、言。神国の誠の鏡(=神そのもの)が轟くのも、皆、この御文字による世の始まりである。今、始まる世(言葉)の基。雨の神、風の神、岩の神、荒ぶる神、地震の神、これらを世の土台として、道理が実る常盤(とわ)の富士(普字)の実りが良くもまあ、めでたい、めでたいことであるぞ。 弥栄の鳴門(成答)は、光の御座の問いによって開かれる。八百万の道の神々が寄る榛名(把立名)や安芸(吾基)に時節が来て、誠がまかり通る神の世の、夜明けの神々は目覚めよと、カムロギ・カムロミの命をもちて、八百万の神々が集いに集い、神計りに計り給い、これまで言葉で議論してきた物事も止め、天の岩戸を開け放ち、天の弥栄、弥栄に智恵が次々と湧き、大いなる実りの光に満ちた尊き御代となるぞ。神がおわす天下、四方の国々を治められるスメオオカミの文字の理、そしてこの現実世界(網母の国)のことはことごとく定まり、弥勒の世となるのである。 これが成るのは、誠の開きの秘められた山(世界)の、神の根源を開く真の神におかかりになったからである。 国魂(くにたま)、天皇(すめらみこと)の神の秘められた、仰ぐ様も素晴らしい時であるぞ。理が実る世、数の極み、それこそが真理である。 富士の山(不二の大空間)は晴れ渡った。光り輝いて、御空に太古の法則(太占)のままに、百草のかき葉も競うかのように、寄り集う誠一つの神の世であるぞ。この世(読字)であるぞ。これを統括して読むのが、惟神(かんながら)の読みである。軸となる文字、その木霊、木霊。文字が開き、数が開かれて成る言葉は、この現実世界(網母)にある。鳴門(成答)の理が開かれに開かれて、貴人(うずひと=尊い人々)の御代が成り成るぞ。弥栄に次いで月日(陰陽)がつき、御代の印の基を継ぐことになるぞ。とどめに富士の神がお生まれになり、富士スサナルの神が現れ、生き生きと活動されている。 ここに、イザナキの神が神々に理(みち)をお与えになり、喜びの光をお賜りになった。日の神(アマテラス)は霊(ひ)の国を、月の神(ツキヨミ)は水(みず)の国を、スサナルノカミは海原(なばら)を治めよ、とおっしゃった。それは、その時から道理として決まっている事であるから、何もかも真理を問い、その道に来なさいということだ。これが「あななひ(=相互に結び合う)」の道であるぞ。弥栄の理であるぞ。「ああ、なんと清々しいことか」「ああ、なんと清々しい世であるか」。 こうして生まれた道であるぞ。都も田舎も皆、大いなる実りの光に寄り集う、誠一つの理となるのである。ここは秘文(ひふみ)の国ぞ、言霊が弥栄に光る国なのであるぞ。理の言葉は富士(普字)に印してある。真理の富士(普字)よ、早く開きなさい。誠の国の御光によって、世界中の人々が(世界の黄泉が)喜びに泣く時が来たと印す文である。腹(肚)にこの世(黄泉)の理がとどめとなり成就する。問い続けた文も、解き明かされる始め、それは天のはじめの光なのである。 この世(黄泉路)の意図(玉糸)、その秘められた名の光が立つ。 草木もものを言う世となるのである。御魂を救う道は、神の理を開き顕すことが根本である。月日(陰陽)が現れ出る時に秘文(ひふみ)が開き、文字の命が開かれる極み、それがナミ(美)のひふみであるぞ。秘文であるぞ。神々様も大喜びであるぞ。 今は、神の意図が分かり、その分かった文字に言霊が息吹いて鳴り響き、その息吹きのままに道理が満ちて、元の大神様もにこにこと、人々が捧げるものを召し上がり、喜びの五十(いそ=五重)の働きが弥栄に弥栄となり、善き良き御代が来るのであるぞ。 目で聞く大神(=心眼で真理を捉える大神)、世の「あななひ」の友よ、天晴れ、言葉と数の働きを食(は)む(=理解し活かす)誠の御代であるぞ。宇宙の波動を知る愚か者(=己を空しうして真理を受け入れる者)よ、月日の御稜威の花が咲いたのだ。悟れ、悟れと、言、言、軸(=言葉が中心軸)。百の御霊(ももたま)の世は、御魂の秘密が尊い。 神の誠の言葉(命)を聞く者たちは、早く身魂の掃除をすることが一番である。 掃除は智の御座である。秘められたものを継ぐ数字(すうじ)の大神。 絶対を開く元の神は、独楽(こま)の理(=中心軸がぶれない回転の理)、ひふみ四十七音、いろは四十八音の真実を目に見せて、神国の誠の善とは、悪魔までも皆、新しく生まれ変わらせて生かす、始めから終りまで続く光である。これこそ惟神(かんながら)の道であるぞ。 智を注ぐ光、その裏にある心の世界(裏山)を荷う母の誠に目覚め、文字を開く命であるぞ。 富士(普字)に花咲く御代は、嬉しい、嬉しい。早く光の文の道を知らせてやった。急ぐ心であるぞ。(この世の)弥栄に光る文となるのだ。 文(ふみ)の命の言葉の御代の、月の光である。五十(いそ)の意図(=五重の働き)の始めの光を知って、尊き御代となりゆく、誠の神の筆(ふで)であるぞ。心を引き締めて読む時である。真言(密教)の神も、飛来(外来)の神も、皆が和合する時が来たのであるぞ。ああ、なんと楽しいことか。ああ、なんと清々しいことか。富士は晴れ渡り、岩戸は開かれた。ああ、清々しい。これでよし(おけ)。後の世のために書き記すぞ。日月の神が書き印すぞ。
AIによる解釈
この「アレの巻」は、ひふみ神示の中でも特に新時代の到来を歓喜と共に宣言する、非常にポジティブで力強いメッセージを持つ巻です。昭和21年1月という終戦直後の混乱期に降ろされたこの神示は、物質的な破壊からの復興だけでなく、霊的・精神的な世界の根本的な革新を高らかに謳い上げています。
「言答開き(岩戸開き)」と「字絶対の世」の到来
本巻の核心は、「岩戸開き」が単なる神話の出来事ではなく、今まさに起きている現実の事象として捉えられている点にあります。この岩戸開きは、「言(こと)」の真実の「答(こたえ)」が開かれること、すなわち真理の顕現を意味します。
そして、その結果として「字絶対の世」が始まるとされています。これは、言葉や文字が単なるコミュニケーションの道具ではなく、宇宙の法則や神の意志を内包する「言霊(ことだま)」や「数霊(かずたま)」としての本来の力を取り戻し、その真理が社会の絶対的な基準となる時代を指します。人々は言葉や文字の奥に秘められた真理を読み解き、それに従って生きるようになります。
「富士(普字)」に咲く花と「弥勒の世」
「富士」は日本の象徴であると同時に、「普字(ふじ)」、つまり「普(あまね)く世界の文字・真理」という言霊的な意味が重ねられています。「富士に花咲く」とは、日本(富士)から世界に向けて、この普遍的な真理(普字)が花開き、広まっていくことの比喩です。
この真理の開花によって実現するのが「弥勒の世」です。これは、すべての対立や争いが終わり、神と人、自然が一体となり、喜びと調和、そして「弥栄(いやさか=ますます栄えること)」に満ち溢れた理想世界です。この世では、草木さえも真理を語り、全存在が祝福されるとされています。
新時代を創造する神々の働きと人間の役割
この大いなる変革は、大スサナルノオオカミに象徴される、古い仕組みを破壊し新しいものを創造する強力な神の働きによって進められます。また、イザナキ・イザナミといった国生みの神々の働きも言及され、神々の計画(経綸)が着々と進行していることが示されます。
しかし、これは神々だけが進めるものではありません。神示は繰り返し「掃除(そうじ)」、すなわち個々人の心の浄化を求めています。我欲や古い価値観、固定観念を手放し、心を清めて誠の心になることが、新しい時代の光を受け入れるための必須条件です。一人ひとりが自らの内なる神性(皆神の子)に目覚め、真理の言葉を読み解き、実践していくこと(めんめの働き)が、弥勒の世を地上に顕現させるための共同作業であると説かれています。
結論
「アレの巻」は、困難な時代の終焉と、光り輝く新時代の幕開けを告げる祝詞のような巻です。その鍵は、私たちが日常的に使う「言葉」と「文字」に秘められた神聖な力を再認識し、自らの心を清め、真理の道に沿って生きることにあります。それは、日本から始まり、やがては「悪魔迄」も救われるという、全人類・全存在を包括する壮大な救済と新生のビジョンなのです。
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